作品紹介②「さんぽハイ」

   【佐藤佐吉演劇祭2024参加作品】

「精神明晰サバナに没す」「さんぽハイ」「日めくりカレンダーAタイプ読み聞かせ」「日めくりカレンダーBタイプ読み聞かせ」

2024/3/11(月)
@東京都北区 王子小劇場
作・演出・出演:B子

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B子の公演に向け、上演作品の紹介をおこないます。

今回はスタッフHによる「さんぽハイ」の紹介です。

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「サンポハイ」

作品のあらすじ:男女がSEXをする
#非線形力学#気候学#分岐分類学#自由譜#モダニズム建築


公演のダイジェスト映像がある。
https://www.youtube.com/watch?v=zdDXoWc0EG4

そこで私は、下図のように作品を紹介した。




物語は、温泉から建物への移動、散歩の話にうんざりする男が女との散歩について考えを改めるところまでと、明確な筋もあるように思えるが、上述されているように、B子によるあらすじは「男女がSEXをする」とのことである。
これは便宜上提出された一文であり、無条件で全てであるとするのは無粋であると私は考えるが、B子にとって本作で描かれる発端に位置するのが、「想像」「旅行」「温泉」などに触れず、その一文であったことは確かである。
現代に至るまで、SEXについて様々な文献が残され、多くの思想家や文筆家がその解決に向かって終着点を定めはしたが、「睡眠はした方がよく、最適な睡眠時間(その計り方)が個々人によって異なる」「バランスの良い栄養摂取はこのようである」などと同様のケーススタディがあるものと並べると、全人類にとってマスターピースになる"教え"は無い。古代よりSEXやその欲望や汚らわしさが人間にとって一面的に重大なことであるとされているが、どんな偉人もその教典を残すことはできていない。完璧な恋愛学が情操教育の一環に組み込まれていないように。まずそうした立ち位置をはっきりさせることから、この作品紹介をはじめたい。

それは同時に、言語をもって、SEXを否定し、拒絶しきる論調を提示することを人間は為しえていないことを意味する。
『リトル・ペブル同宿会』などといったカルト団体が"行動"によって、SEXの在り方を教団内でリアリティあるものとして誇示することは、そこに絶対的な規範や権力図が存在することが理由となる。
この規範は、作家や演出家が作品において、絶対的な力を有したり、制定できる成り立ちに近いのかもしれない。
宗教観を宗教観といえるのは、それが宗教に根差すからである。固有の世界観が世界観といえるのは、それが固有の世界に根差すからであり、本作はB子の創作により、提示される登場人物たちの"行動"を通して、”男女のSEX”を巡る一種の教典であると私は言えると感じている。
舞台上で繰り広げられるのは、その教典内を生きる人たちの生活であり、リアルである。B子の或いは願望であり、信条やB子に宿る一つの啓示である。


冒頭でまず、男と女が湯につかり、触れ合うさまを、司会者が実況している。
この第三者視点が時折挟まり、私たちは「映像の世紀」を観ているように、そこでおこなわれている客観的な説明を受け取って、迷子にならずに劇中、誘導されていく。
"物語"の核となるのは、女が語る"嘘かほんとか、どこかの風景"であり、そのすぐ傍で、行き交う視点は散歩するものの突き抜けた(ハイな)動向である。

男ははじめには、一般社会から来た観客である私たちの立ち位置に近いだろう。これに寄り添ってみ始めることは、意外とそうむつかしくない。
男が女のことを分かり始めていく速度は、観客のリアルの域を脱しない。丁寧に、そしてスリリングに男と女は劇中のあたりを散策しはじめ、散歩をめぐる可動域を広げていく。

移動しながら、この世界での揺蕩いがつづく。
そして男と女の間柄が"解決"し、ひとつ友好的に物語は終息に向かう。
本作は、そうした、男女に連れられて私たちが劇中の、この教典の世界観に触れていく体験型エンターテイメントである。
疑わなければ(迷子にならなければ)、物語の大筋はストレートであるので安心してほしい。

行間にある男女のSEXを連想してみてもまた良いだろう。
そうした、まだ教えに浅い我々に余白を残してくれる、とっつきやすさ・寛容さもここにはある。

「ただのさんぽだよ? 大げさWW」
B子は笑っている。いや、劇中の女が笑う。
そのことをどう捉えるか、そのための時間に費やしてみてもよい。本作の上演は3/11に3回も提示されるのだから。出入り自由ですし。

ーー平井寛人(studio hiari)


『さんぽハイ』は原稿用紙で遊ぶような気持ちで書きました。

(談:B子)

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